2008年11月18日火曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅱ


「さらば戦争!映画祭」の副題は「~人間が始めたものは人間がやめればいい~」。

小説「蟹工船」は今年に入って50万部を超えたという(「朝日」11.14付け)。新潮文庫版は110刷を超えたらしい。

このドキュメント映画「時代(とき)を撃て・多喜二」(05年)ができたとき、正直言ってこれほど読まれるとは思わなかった。

「蟹工船」が発表されたときこの小説は4万5千部も売れたという、昭和4年、1929年のことだ。これも驚異の売上げだったという。しかし当時は伏字(ふせじ)だらけだ、場面によっては数行が検閲によって伏せられる。昔の読者は読解力、想像力があったとしか考えられない。この小説によって多喜二は後日不敬罪で投獄される。

多喜二は小説「一九二八年三月一五日」で当時の警察の大弾圧(3・15事件と呼ばれる)のことを描き、「蟹工船」、そして「党生活者(発表当時は検閲があって「転換時代(仮題」)」で侵略戦争への反対を明確にした。このドキュメンタリー映画でインタビューに応える小樽出身の経済学者浜林正夫さんは語る。多喜二は時代を鋭く真正面からとらえ、「警察、天皇、戦争」に触れた、権力に狙われるべくして狙われたという。
「人間らしく叫ぼう」とした。
その勇敢さ、あふれる才能が、そして排除され、あろうことか抹殺された(1933年築地警察署にて拷問によって虐殺された)。

この映画のプロデューサーとして紹介された池田博穂さんは、ドキュメント映画「靖国」はもらえたが、文化庁から(製作)助成金の750万円はハナからもらえなかったと振り返る。少しでも反政府的な匂いのするものには助成金はださないと。

国禁の書の作者、「アカ」として迫害を受けたが、この多喜二の原稿や遺稿や記憶が数多く残された。立場が違うが彼の支持者がいたこと、才能を知るひとびとがいたこと、なによりも家族が、彼の多くのものを残したという。「いずれそういう時代がくる」と信じて。

「我々の芸術は飯を食えぬ人にとっての料理の本であってはならぬ」彼の残した言葉である。

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