2008年11月17日月曜日

「さら戦」映画祭鑑賞記Ⅰ「靖国」


「さらば戦争!映画祭」という。11月15日に催された。若い人たちが主催者だ。

 プロデューサーの張雲暉(チャン・ユフィ)さんは語る。ドキュメント映画「靖国」の製作には10年かけた。最初は彼女と監督の中国人二人で始めて、後に日本人のスタッフもいれた。その10年間で日本の社会の変貌を実感したそうだ。

私は考えた。
 この映画は日本で撮られて、日本の既存の映像を使っていながら、日本人のあまり見たことのない映像がふんだんにとりいれられている。それだけでも一見の価値がある。つまり、昔の日本人自身が制作した映像が活用されている。それでいて、いまでは一部の日本人にとって都合が悪いと思われるようになった画像といえよう。
 それで「反日」とか「反戦」か、といえば、右翼の論客鈴木邦雄さんが評しているように、むしろ日本右翼の宣伝かと思われるほど靖国を肯定する人たちの主張がこれでもかと出てくる。

 一番の大きな問題は「圧力はかけていない」とおっしゃる自民党の有村治子参議院議員、稲田朋美代議士(弁護士で05年郵政選挙で当選)の言動、介入だろう。これによって上映を予定していた劇場が「空気を読んで」みな上映を自粛した。
 このお二人に私は前空幕長の田母神さんにも通じるものを見る。「狂信的」信念である。そんなことがあったでは済まされない「時代の流れ」のことだ。戦前もこういう狂信的なものに顔をしかめることはあっても、「触らぬ神に祟り無し」で見てみぬふりをした、我が身には降りかからぬと思っていた。そして社会は軍国主義へ、戦争へと突き進んだ。三流の御仁が権力中枢(国会議員、自衛隊幹部)にいて、狂信的信念で振舞う時の恐さ、理性の通じなさ、これを庶民として覚えておかねばならぬ。押し返さなければならない。
 みんなエリートなのである。これを間違いだと言い切る一方のエリート、知識人にも、どこかこれを見過ごす弱さを感じる。

 映画「靖国」は反日じゃん、侵略国家だったなんて自虐史観じゃん、と安直に流される「空気」をこそ悪(にく)まねばならない。

0 件のコメント: