2008年11月5日水曜日

兄弟


失礼だが「ウエコーのハゲ」と呼んでいた。だんだんに禿げてゆき最後には前頭部のところだけ残る禿げ方だった。度の厚いメガネだった。もらったわけではないが、年賀状には自らの風貌を漫画にしてサイン代わりにしていた、そういう茶目っ気もあった。

大阪に行く前日、共産党の上田耕一郎さんの訃報を知った。

腕は毛深かった、野武士の論客という印象だった。人を覗き込むような鋭い眼光、論敵の言うことを受けとめ、呑み込んでする反論は舌鋒鋭いのだが、どこかユーモラスでユニークだった。弟の不破哲三さんと比較される所以である。若いときの不破さんは必ず「自分の土俵」でモノを言ったし、その鋭さは切って捨てるようだった。それはそれで痛快だった。共産党は恐ろしい、きらいだという母もこの人と松本善明さんだけはテレビの国会中継で見て好んでいた。当時、若くて頭がよさそうというミーハー好みだったようだ。

以前、その不破さんが中曽根康弘さん、土井たか子さんとテレビ朝日に出演したときに、「与えられたものとしてどこに自分の居場所があるかということではなく、居場所のないような社会は変えて居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくれ。今の社会の貧しさを自分の貧しさにしてはいけない」と老人然として若者に呼びかけた。風見鶏の大勲位も「その通りです」と。この人の苦労はこの人なりに“プリンス然”としていたのではないと知った。二世三世の根性なしまたは口先だけの“ソーリ”たちとは違う重みを思った。

神戸三宮で兄と会った。70を越してまだ働いている。働き尽くめだから、あと何回桜を見られると思っているのか、この季節だったら紅葉をあと何回楽しめると考えているのかと悪態をつく。君が言うからそれをこのごろはいつも思うと言う。いい年になって死ねば自然かなとも思う、どっちが先かわからぬが。しかし、悲しかろう。
別れ際になにをくれるかと思えば、高血圧生活読本の類、ぁ。

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