2008年9月15日月曜日

老いる


母方の祖母は大学時代に80代後半で亡くなった。母もそのぐらいかなと秘かに覚悟していたが、96歳で健在だ。母の5人の弟妹つまり叔父叔母たちもみな健在。聞けば母の実家は長生きの血筋。90代まで生きたひとがいくらもいた。

母は努めてよく歩いた。母が町のあちこちを歩き回っている姿は、市のケアマネージャーの間では有名な光景だったことを、その人にお世話になって聞いて知った。想像はついていた。一日に歩いた距離は半端ではないようだ。私の故郷ではお墓の花は欠かさないが、その場所はかなり遠い。歩くのは足腰が弱らぬようにと、人のお世話にならぬようにとの気丈夫さからだったが、歳を経るにつれ何度も転んだらしい、深刻なダメージをそのたびに受けていた。

末子の私が家を出て以来、独り暮らしだ。米寿のころだったか、母は父の33回忌を執り行った。同居の話もしたが、それぞれうまくいかなかった。私たち子どもも叔父叔母たちも関東関西在住で、故郷には叔母ひとりしか身寄りはいない。その叔母も独り暮らしだった。

あれこれあってケアハウスに入居できたのも束の間の数年、認知症が進み、一時期兄弟で途方に暮れたが、施設(特別養護老人ホーム)になんとか入居できた。ついこの間のことだ。杖も車椅子もいやがっていたが、足腰を鍛えていたので、歩行は自分でできる。昼も夜もなく介護をしていただく職員のみなさんには頭がさがる。

顔と姿が父親、つまり夫に似ているらしく私に会えば喜ぶ。それでも認知症が進んでいてたまにしか帰らない私たちだから、誰だか判らないときもある。状態は「まだらもよう」と施設の人が言う。我が妻の名前は前の前に帰ったときにはなかなか思い出せなかった、この前はすぐに思い出した。友人達は親がいるだけいいではないかと言う、確かにそうだ。

夏休みを別のことで使った。兄からの連絡によればいろいろな病状がすすんでいるらしい。来月久しぶりに会いに行く。

その母といるときは宇宙空間にいるようだ。会話は繰り返しで、どこかを漂うような、どこにいるかわからないような、今はいつなのかもわからなくなる。いつも施設を去るとき、母は見送りをしたいと言う「こころを鬼にして」しか帰れない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も父親にソックリです(苦笑)。母親は私の百姓になるような生き方を嫌っていたようですが、私が彼女のケアハウスの扉を開けると、輝くような笑顔を見せてくれました。

匿名 さんのコメント...

こんばんは♪
私も余情半さまやブナガヤさまのように息子たちから愛してもらえるかしら?