2008年9月10日水曜日

我家の稲穂


方言で「ほがない」という。「ほのなかこつ」(ほがないこと)というふうに使う。あてにならない、中身がないこと、とかいう意味だと理解している。

「ほ」は「穂」だと思っていたが、「帆」でもあてはまる。穂の場合、穂には実が無い。

この列島では古代国家の成立から幕府政権まで主税(祖、年貢)はコメだった。水田稲作を奨励し営々と隅々まで田園をつくりあげさせ、支配者に米を上納させてきた。大石内蔵助の長男は大石主税(ちから)。国家財源の基礎のコメは「ちから」の源とされた。米はおいしく栄養価も優れた食糧として社会の真ん中にあった。食としては米と魚これが長く日本人を形成してきた。これを土台に文化をつくりあげてきた。

「バケツで米づくり」、花が咲かなかったように思うが穂ができているのに今朝気がついた。実は無いように思う。収穫祭の案内がわざわざ来たが、残念だ。なんの努力も執着もしていないのだから何もいえない。

この列島で人生50年の平均寿命が明治か大正まで続き低迷する、まして戦争もあった。豊葦原瑞穂国でありながら、戦前から日本は長く米の自給ができなかった。ようやく自給できるようになり、長寿にもなったのは歴史的にはつい最近のことと言える。ようやくそうなったのに、こんどは飽食の挙句食い物を捨てたり、「後期高齢者」などといって収入もない多くのお年寄りから徴税したりもする社会をつくりあげてしまった。この解決に取り組むことが課題になる。

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