2008年8月6日水曜日

原爆忌


「石器時代に戻してやる」というのは米国のよく使う脅しで、実際にベトナム戦争の戦略爆撃はそれを地でいった。太平洋戦争時よりも多量の爆弾投下に加えて枯葉剤を撒きちらかした。「同時代のこと」としてそれを見ていた。アフガン攻撃のための協力をとりつけるためにパキスタンにも同じセリフで脅していたらしい。

何故、3月10日の東京大空襲をはじめ、全国各地への非戦闘員への爆撃、機銃掃射、艦砲射撃はあれほどまでに必要だったのだろうか。ヒロシマへの原爆投下、さらにナガサキまでも必要だったのか。9.11のニューヨークとは比較にならないほど残虐そのものである。原爆は生き残った「ヒバクシャ」をも苦しめたし、今も苦しめている。

戦争を紛争解決の手段にしかねないアメリカをいつまでも「親分」と仰ぐような進み方でいいのだろうか。

ヨーロッパをみていても、中南米をみていても、東南アジアをみていても、アメリカ一極主義ではない。歴史が変わる。黙祷。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私の義理の祖母は、3月10日の東京大空襲、いや東京大虐殺で生きたまま焼かれました。遺体すらも残りませんでした。民間人を虐殺し、戦意を削ぐこと、これが米軍の指揮官カーチスルメイという男の方針でした。
ひとりでも多くの日本人を殺すこと、老若男女を問わず殺戮すること、このようなことを戦略に仕立てたのは、ドイツの昼間爆撃をした英国と、アメリカのみです。

黙祷。虫のように殺されねばならなかった無辜のわが同胞に。
そして戦後60年を経て未だ原爆症で苦しむ方々に光を。
そしてまた、カーチスルメイに勲章を差し出した愚かなるわが政府に呪いを。