2008年8月24日日曜日

甘さの効用


アイスランドは軍隊を持たない国。わが国も憲法を素直に読めば本来そういう国。ただし、アイスランドには米軍が駐留する。大西洋の要衝だからだ。米軍にとって日本もアジアを睨む要衝、不沈空母にすぎない。

魚を求めて訪問はいつも真冬の2月だった。極北の寒さのためウォッカを飲みすぎる人が多かったのか酒類の販売は制限されていた。首都レイキャビクの「銀座」の街頭にはソフトクリームショップ。しかも並んで買い求める。雪の吹きすさぶ街頭でひとびとがその甘く冷たいアイスクリームを肩寄せ合いながら頬張るのが異様に見えた。寒かろうに、なんでと。

振舞われるコーヒーも紅茶にも初めっからたっぷり砂糖がいれられていた。皆さんブーイングの嵐だったが、私には理解できた。しかも接待にはいちいち甘いお菓子がいくらでもでてきた。私はそのたびにご相伴にあずかった。インドネシアは常夏の国。腕時計と頭に巻いたタオルのあとを残して日焼けした。暑さと日差しは体力を消耗させる。

南の生まれ故郷も何につけ味付けは甘い。いかに甘いかが、母の時代にはグレードの高さの尺度のひとつだった。砂糖をいかにふんだんに使っているかが町のお菓子屋さんの評価のひとつだった。醤油に至っては他県人にはまず理解されない。

砂糖は食品の中の傑作だ。エネルギー代謝がよい。したがって、とても暑い国、寒い国で手っ取り早く糖分を摂ることは理にかなっている。接待は「疲れを癒してください」と受け取るべきだが、ところが飽食の私達にはもはや余計なお世話と受け取れるミスマッチ。

その昔、薩摩に支配されていた奄美の農民はさとうきびの耕作を強制された。日差しの強さ、3mにもなるさとうきび相手の作業は過酷だった。さとうきびを耕作していながら、茎のひとつをかじっても、黒砂糖をひとかじりしても首を刎ねられた。甘さを求めることは命を繋ぐ渇望であったろうに。

飽食の私達はもはや渇望など知らない。代謝する能力もなくなっているのだろう。
帰ってきて本日計量したら2kg太っていた。単なる食べ過ぎだろうが。

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