2008年7月29日火曜日

先の見えない行進


 日本人は長くお茶を飲んできた。作法があったり、こころづくしがあったり、世間話があったりして。その昔、医食同源、薬としてまだ当時は新宗教のようなものだった禅宗のお坊さんによってもたらされたという。江戸時代、農民が喫茶をするとはけしからん、贅沢怠惰として何度も禁圧された。そんなことにはおかまいもなく、日本人の食生活になじんできた。庭にお茶の木を植え日常のお茶をたのしんできた。

 それが今ではペットボトルで飲む。加工飲料の主流は紆余曲折を経て結局、茶飲料か水に落ち着いてきた。おいしい果汁や珍しい野菜汁、魅惑的なフレーバーにあこがれもしてきたが、糖分の摂り過ぎにも気付いたし、なにか落ち着かなかった、そういうこと。メタボを脅迫して「濃いお茶」もある。

 猛暑に臨んでお茶のペットボトルがタイトになって調達部隊はいきなり右往左往する。みずもの。事業的には儲かりもする。ただしペットボトルはリサイクルしても確実に消耗する。誰かが儲かり、地球が損をする。今の私達が「豊かさ」を享受し、あとの孫達が「貧しさ」に泣くかもしれない。「便利」は後戻りできない。「豊かな」国の安くて簡単便利、ラットの行進。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いいお話です。そうですね、ほんとうにペットボトルで茶が変わりました。うちの村は皆、生け垣で茶を植えて、初夏には地元のお茶屋で焙煎してもらったそうです。でも、今は箱で買った「お~いお茶」になりました。たまにはうちのほうにもお越しを。