2008年7月1日火曜日

先が見える?


 考古学博物館などでいつも不思議に思うのは、ほんの欠片の破片から大きな土器が再現されて展示されている。ほんの少しのアゴの化石から猿人や古い人間の仲間が再現された想像図がある。なんであんなカケラからできるのだろうかと。

 さまざまな苦情やお問い合わせが現場から最終的に寄せられてくる。ときによっては「丸投げ」とも受け取れる事例もある。こじれていることや、なにかボタンの掛け違いが感じられる「トラブル」もある。摩訶不思議な事案もある。ほんの少しの「事実」から事象を組み立てていかなければならない。しかもこれに「感情」がからむ。迅速、誠心誠意、事実で対応する。

 事実という「ピース」から分かる範囲、可能性も含めて全体像を組み立てる。当然それの拡大性の有無を迅速に判断し、できうる限り原因を究明し再発防止を追求する、説明責任を全うし、落ち度についてお詫びをする。当然、商品の取り扱い方そのものにも反映されなければならない、ときには製造現場や工程の抜本的な改善、仕様の見直しにもつながらなければならない。これが「光」

 破片や化石から土器や猿人を再現する、それには考古学的手法が背景にある。科学として今も研鑽されつつある。

 未だ職人芸という観がある。しかも「社内のステイタスは低いママ」。業界紙には「体制強化」と報じられていたが、それは誤認をまねく見出し。実態は検査と仕入れ部門のみを強化。人事部は頭数も人材も未だによこさない。「経験が豊か」という美名で定年間際の老骨に鞭打つ仕打ち。勿論、経験見識豊かであれば大きな戦力だが、残念ながら。将来は幹部にも登用しようという若い候補生こそ配置すべきと実感しているが、残念ながら。言えぬことだらけの「闇」。

 仕組み、手法のそれなりの積み上げがあるが、肝心の経験見識が継承されそうにない。システムだけができあがって、対応の内容を平準化する魂胆のようだ。誤解を恐れずに言うとマクドナルド化する。右から左。人工的な愛想と霞みのような受け答え。マニュアルの範囲。まず派遣社員さんへの委託業務化。件数が増えればコールセンターへの丸投げ。このように想像する。もしそうなればどうなるか。我社は本気で対応する気はなくなる、処理する対象となる。問い合わせと回答のすれ違いがはじまれば、対話はなくなっていく。意見を言うのをあきらめさせる(?)。本来の主権者を完全に「お客さん」化する、職員(専従)に任せてくれと。「出資、利用、運営」の本質的な崩壊。存在価値の希薄化が進む。文字通り「言ってもはじまらなくなる」。

2 件のコメント:

野生のトキ さんのコメント...

余情半さん

あなたのような方がいるから生協は持っています。支えているのはこの苦労です。

悲鳴のような、怒り。
世の中の不平、不満、怒りをまるで全てをあなたにぶつけて解消しようとするかのようなクレームの洪水。

確かに、これは私達が招いたこと。ぶつけることができる場が、人がいることがせめてもの存在的価値。

大きな組織は、小さな人の集まり。
大きな人には動かせない。

匿名 さんのコメント...

あなたのような商品担当とつきあいたかった。
本来、組合員消費者との接点は、トラブルが起きた時点が起点だと思う。リバース・エンジニアリングみたいな逆工程。余情半さんのような商品と加工業者を知り尽くした人にしか出来ない仕事だ。

余情半さんのような職種こそ、優秀な新人を配置すべきだ。経験や知見がみすみす失われていくようでつらい。
今の大企業はお客様室を単なる苦情処理と位置づけていないと聞いたことがある。それが次の商品改善、いや開拓に繋がるからだ。今のままだと、二流の大規模流通業に生協はなってしまいかねないようだ。