ずっと以前に住んでいたところの裏にほんの小さな竹やぶがあって野良の子猫の姉妹3匹がいました。他人様の土地です。その母猫も前年に産み落とされたばかりの若さでした。ですから生まれたときから2代続けて知っています。野良らしく人間には慣れず、会えば「シャー!」と威嚇されました。当然いつもお腹をすかせていましたので、魚の残飯などをときどきそっと置いて与えたりしました。ご近所様にも憚りがありました。食べる様子をこっそり覗いたりしておりますと、3匹のうち、われ先に他の子の頭を押さえつけて食べるなんともお転婆な子がいました。おそるおそる食べる時もまず一番に手を、いや口をつけるのがその子でした。3匹とも身体の模様が違っていてその子は縞模様だったので「トラちゃん」と名づけていました。母猫は生まれながらにして警戒心が強く、トラちゃんもその血をひいていましたが何事につれ積極的でした。
どういうわけだったのでしょうかその日の朝に限って、ためらいつつ勝手口から一歩入ってきて、いや二、三歩入ってきて与えた牛乳をゴクゴク飲みました。何か言いながら飲んでいました。野良猫生活でよほどお腹がすいていたのでしょうか。こちらもおっかなびっくりでしたが、はじめて頭をなでることができました。あっ、これで少しお友達になれたのかなと思ったことも印象に残っています。確かその夜は神宮で野球を観戦したと思います。帰ってきたら暗い路上に小さな物体が横たわっていました。まさか。こわがりの私は直視できませんでしたが、妻が拾い上げて包みに入れてあげました。まぎれもなく子猫のトラちゃんそのものでした。目玉が飛び出ていたそうです。薄幸とはこういうことを言うのでしょう。野良に生まれ、たくましく生きるそんな環境ではありませんでした。人間の世界はカネとモノと食べものが溢れ、まだバブルだったように思います。
夜は遅く、テレビをつけましたら「天安門事件」のニュースが飛び込んできました。一転した出来事とさまざまなやりきれない思いも含めてこの日のことがとくに印象に残っています。
2 件のコメント:
トラちゃんとの出会い。
ふーてんのトラ次郎。
野垂れ死ぬということ。
不思議だなあ。生命は。
合掌!
こういう私小説(死語)的なことを語らせると、余情半さんはスゴイ。描写力がある。寄せる愛を感じる。
私なんぞ、愛犬の死についても、まぁあのていどで。ブログ主様はほんとうに生きものが好きなのですね。
下の文字確認はキライだぁ!
コメントを投稿