2008年6月2日月曜日

民主主義の学校


 今は組合がつらい。
 本来、民主主義の学校であるべきだが、形骸化が著しい。

 執行部を経て経営の幹部へ転身する。まして人事部長やその上の管理本部長にでも「出世」すれば、見ている方が恥ずかしくなる。「李下に冠を正さず」もなにもない。組合が“おちょくられ”ている、後任の執行部は反発もしない。どの立場でも能力があるからといえばそれまでだが、組合を踏み台とする野心をみる。俗物には保身を見て取る。献身がないから本質的に見透かす。第2インターみたいな大げさなこと(批判)まで言わないが、「闘う」と言っても迫真はない。組合費は天引きされるし、脱退すれば失職する仕組みが逆の桎梏になりかねない。これではまるでルポルタージュ「偽装労連」の世界だが、本質そこまではないとは信じている。どうあれ組合は大事な社会的組織のひとつだ。

 我が組合が今春闘において社会的不祥事続きの局難に鑑みベースアップを自粛するとした。社会的責任、諸般の事情からそうだとしても、次の冬の一時金要求の戦いに「業績アップ」を呼号し、これを条件に言い出したのには異論を展開せざるをえなかった。経営一体化の本性をみせたのか、未熟なのか、業務提案の練習をしているのか、情けないというか呆れた。私のいくらなんでもという指摘に分会ではなんの発言もなかったが、皆はうなずいてはいたように思う。撤回修正を信ずる。若いときにはおおげんかになったと想像するが、労働組合の大事さが希薄になっている。生活ができぬわけではなく、長時間労働があっても周囲に比べればましな方だ。残業代は支払われるし、わずかだが一時金で「成果主義」という差別給が機能している。名ばかり管理職どころかトップ意思は伝言ゲームのように下に降りてくる。

 社会を動かす連帯の力も鈍ってきている、方針にはりっぱに掲げてあるのだが実感が乏しい。街頭に出なくなって久しい。

 うちのパートの皆さんは任意加盟だが、我がセクションの皆さんは、ついに昨年集団脱退した。十数年間加入していたが、成果がただのひとつもなかった。それならば組合費を払い続けた勘定があわない、という理由だ。生活要求に基づき一致、団結して要求をかちとるという基本のキを執行部、正規職員労組が貫かなかったからだ。要求を降ろしたわけではなかったが、「新規雇用をしないでパートをなくし、派遣に替える」という経営の方針を知りながら、パートのみなさんのささやかな要求(時間給の上限を撤廃して仕事の貢献をみとめ10円でもあげてくれ)を見殺しにしてきた結果の報いと私は思っている。当時の歴代委員長が現在の経営幹部であれば納得できる構図である。

 しかし、組合は大事なものだ。弱いものの立場、味方、献身でなければならない。
 巷の派遣労組の皆さんの決起、管理職ユニオンの立ち上げ、まるで組合の黎明期が再び巡ってきたようだ。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ユニオンショップの弊害ですね。ショップ協定は、必ずこのような第2人事部的組合を生みます。というか、そのためにあるような協定です。

ショップ協定による、組合費の天引き、言い換えれば、会社による代行は、もはや組合が人事部の事実上の系統下にあることを意味します。

私がかつていたしょぼい組合では、ひとりひとり廻って、イヤミを言われたり、要望を聞きながら集金をしました。まさに民主主義です。個人加盟、そして集金は組合のイロハだと今でも思っています。

今回の毒餃子事件で、組合はどのような対応をされたのでしょうか?それを抜きにベースアップ自粛ということにはならないはずですが。

この事件で、多くのマスコミや消費者団体から、「生協の安全神話崩壊」として社会的責任感の薄さを指弾されましたね。これは同時に組合の責任を問われていることでもあるのです。

また、バートを防衛できないようなら、組合ではないと思いますが・・・。長くなったのでこのくらいに。勝手を書きましてすいません。誠実に悩まれている余情半さんは素晴らしいと思います。今、大部分の組合活動家はその魂をなくしつつありますから。

野生のトキ さんのコメント...

組合は財産だと思っていた。

しかし、若いときに郵便局の臨時職員として
数年働き、仲間と共に正規職員との差別撤廃を闘った。

そして、全逓労組に加入を申し込んだ。
すると、この幹部は守れないから加入させられないと明確に断った。

全逓労組の労組手帳に臨時労働者の加盟を準組合員として明記してあるにも関わらず。

このとき、産業別、企業別労組が自ら終わりを告げた。光は落ちた。後は、惰性。

すべての協同は、他人との共生にある。共に生きようという意思にある。

立派な御託をなられべようと、卑怯な人は輝かない。小ズルイ人が指導者では情けない。

とまれ、おおらかに生きよう。
こういう時代もあるさ。
「黄金理論」は、自らのみすぼらしさもごまかすことができる。

「黄金理論」にくみしない。王様は裸だとあっけらかんに話す。バカになろうぜ。

匿名 さんのコメント...

野性のトキ様、そして余情半様。
このあいだ、ある若いフリーターと話すチャンスがあった。派遣社員で喰っている今28の男だ。

彼の派遣されていた会社は、今伸び盛りの会社。名を言えば、ああ、アソコというところ。ノルマもきつい。正社員はごくわずかで、社会的な知名度もある。女性は1人を除いて皆パートだという。そして営業社員や、商品管理は全員が責任者以外派遣。
いちおう名ばかりの労組はあるようだ。

派遣は成績が上がらねば、「チェンジ」といってバサバサ切られる。切られると、いちおう他の会社に斡旋されるが、「切られた傷」みたいなものが出来て、だいたいが続かない。「オレは社会の無用者」みたいな心理になるそうだ。となると、後はフリーターしか残っていない。

その男が言うには
「正社員を見るだけでムカつく。ろくに働きもしねぇで、高給とりやがって。戦争にでもなってメチャクチャになりゃいい、こんな世の中!」

では、労組はそいつを救済するのかといえば、まぁ、だめだろうと思いながらも聞いてみた。
「労組?なにそれ?関係ないしょ」

今や労組は一部特権階級的労働者の利害防衛組織となっているようだ。そして、その上に、というかその下に外国人労働者が存在すると来ては、もう眼を覆うばかりである。

整理すれば、正社員(本工)-パート(臨時工)-派遣社員-外国人労働者という階層構造になっているらしい。

余情半さん。そう、いまが「組合の黎明期」なのだ!こんな多重な階層を作ってしまった労働階層を、どのように変えていくのか。

ひとつのヒントは、労組の社会的な責任をまっとうする、という古くて新しいテーマだと思う。今まで、アンポ粉砕、イラク派遣阻止みたいな、正しいかどうかは別にして、左翼政治のテーマではなく、消費者、農業者も巻き込めるテーマで闘うことを勧める。

例えば、毒餃子、中国輸入野菜、食糧危機、エネルギー危機、コメのWTO反対、いくらでもテーマはありそうなものだ。こんなことに対してスローガンだけ吊るして、実際はなんの行動もしないから、消費者にも農業者にも労組は信用されていない。

だから援軍がいない。
社会的なアクションが弱いから、誰も単組の内部事情や労働条件など気にしていない。労働条件の切り下げという時に、誰も気にしない。ことに今回の毒餃子で、生協内労組が独自の動きを取れなかったのは、痛い。

もし、消費者や農業者と、生協のルート以外でもしっかりとしたつながりをもっていたなら、いざという時には私も駆けつける。卵や野菜や米もカンパする。なぜなら、そのような労組はトキさんが言うように一種の「社会的な財産」だからである。

頑張って下さい!クビになったら百姓になる道を教えます。退路を絶ちてではなく、退路は作って頑張ってね。