2008年6月1日日曜日

義兄の思い出


 夫が末期癌であと半年の命と告げられて上の姉は狼狽した。だが夫には知らせなかった。会えば義兄はすぐ治るよと楽観的だったが、痰が切れぬようになり痛みも増してきて、余命幾許かを悟っていたと思う。故郷の私の母のところに姉達は夫婦で会いに行った。母は聞かされていたので知らぬふりをしながら応対した。好きな酒も進まなかった、ほとんど食事もとれなかった。なによりも痛みがあったろう。母は後年、このことを幾度も話した。

 岩手で釣った鮎を焼くからといって、次の姉の家にみんなで集まった。わいわいと明るかった。義兄もにこにこしながら、少しずつ食べ、少しだけ相伴した。写真に撮った、ビデオに撮った、ファインダーが曇った。「なあに、すぐ治るよ」が口癖のようになっていた。入院をし、見舞いにいっても同じ口調だった。しかし背中は異様にもりあがっていた。

 臨終の時見たのは胸に穴が空けられ、そこから呼吸をし、栄養を注入されている姿だった。最後まで弱気をはかなかったそうだ、まだ五十台で現役だった。高齢の母は遠方の葬式にはでられなかった。

 あのときのことをわざわざ「最後のあいさつ」に来てくれたと言って、母は涙が止まらなかった。

 あれから11年、母は90をいくつもすぎて健在で、呆けたが、この義兄のことを話す。

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